芹澤 覚|会長 2015.03.10
私の母親は昭和2年生まれです。
9月で88歳になりますが、3年前に脳梗塞で左半身が不随になり
寝たきりで「きせがわ病院」に入っています。
「きせがわ病院」はとてもよくしてくれます。
こまめに体の位置を変えて床ずれなどはまったく心配ありません。
色々な工夫で快適に過ごさせていただいています。
しかし、基本的に母は左半身が不随なのでベッドの上で寝返りも出来ません。
声をだす機能もダメージを受けているようで話も出来ません。
私達がいうことに単語で答えられる程度です。
それも、かすれ声です。
ボケも進行しているようですが、色々なことの認識は出来ます。
そんな状態ですから寝たり起きたりで一日が過ぎてゆきます。
寝ている間はともかく目を覚ましている間は
テレビを見られるわけでなし、本を読めるわけでなし
天井の穴あきボードの穴を数えるくらいで、時間が過ぎてゆくのがとても遅いのではないでしょうか?
そんな母が3年もそんな状態で居ます。
はじめの頃は兄弟や子どもたちや親戚知人が、こまめに見舞いに来てくれました。
今では私達夫婦でさえも週に2回以上と続けてきた見舞いが週一になっています。
いる時間も30分程度です。
自分の身に置き換えた時、私だったらどうだろうと考えます。
なにもせずに過ぎてゆく時間の長いことはキット耐えられないと思います。
発病して3ヶ月頃の別のリハビリ病院で点滴だけでは栄養が十分に摂れないので
衰弱してしまうだろうと「胃瘻手術」を勧められました。
悩んだのですが、結局、死なせる決断が出来ずに「胃瘻手術」を受け入れました。
「きせがわ病院」の十分な介護のおかげで母は今年になってから
昼食だけ車椅子で食堂に行き、他の患者さんと一緒に看護師さんからおかゆ的な食事を食べさせてもらえるようになりました。
しかし、母の歳を考えるとそれ以上に回復することは想像できません。
周りの皆さんは「顔艶も良くなったね。」と言ってくれますが
意識がしっかりしていて体が動かないのは果たして幸せなのか?
いっそ、同室の酸素吸入の寝たきりの方のほうが幸せではなのか?
「胃瘻」はつけたら、回復しない限り外せないそうです。
「胃瘻手術」は母にとって幸いだったのか?
悩みは尽きません。